23 April 2025

駒場ゼミ3回目にして怒涛の突っ込み

このところ続けて開講してきた「人はなぜ納税するか」ゼミは、このセメスターには駒場で開講している。さっそくSteinmo and D'Attoma, Willing to Pay? A Reasonable Choice Approach (Oxford University Press 2022)を読み始めた。この本は、どうしてある国では高い納税協力が観察され、別の国では低い納税協力が観察されるのか、という問いを扱っている。制度の役割に着目しつつ、これを利益・規範・価値という変数によって説明しようとする試みである。

今日はゼミの3回目で、この本の理論枠組みを説明する章(1 Why Should I Pay? A Cognitive Theory of Tax Morale)の会読にとりかかった。

この章冒頭の引用に出てくるDouglass Northは、二十歳前後の学生のみなさんにはなじみがなかったよう。さもありなん。彼がノーベル経済学賞をとったのが1993年だから、ゼミを受講しているみなさんが生まれるだいぶ前である。私の世代にとっては同時代人としてまぶしかった存在も、遠い歴史上の存在と感じられるのかもしれない。ちなみに、山形さんが青木先生にインタビューしたこの記事「青木先生、比較制度分析って何ですか?」も、今からもう16年前。

今日の会読は厳密に一文ずつ精読するというよりは、まずはパラグラフごとに意味をつかもうというゆるい感じで進めた。ただ乗り問題に対するホッブス的解決のあたり(8頁)ですこし議論が出て、規範の内面化についての軽い質疑があった。また、Rational Choice Instrumentalismに出てくるrationalという言葉と、Steinmoらのいうreasonable choice approach(9頁)に出てくるreasonableという言葉は、いずれも日本語にすると同じ「合理的」になるけど英語だと違う言葉で意味の違いを意識してますよね、といった話があった。ここまでの展開は想定内。

しかしだんだん参加者の発言が鋭くなってくる。本書がいうところのsuccessful societiesとless successful societies(11頁)はどう区別されるか。このいずれに向かうかのtipping pointはどこにあるか。こういった疑問が出てきたあたりで、一見すると平明で常識的なテクストが、実は多くのことを説明していないことが明らかになってくる。

そして、effective institutionsがこうこう、ineffective and/or inefficient institutionsがこうこう、というくだり(12頁)に至って、effectiveとefficientがどう違うかがわかりません、どうしてひとつめの文はeffectiveだけでふたつめの文はineffectiveとinefficientの両方が出てくるのですか、という質問があった。これを起点に、参加者のさまざまな解釈が飛び交うようになった。納税者の納税協力と課税庁の執行能力とで黒板にマトリクスを描いて説明する人がいた。ベン図を描いて概念相互の関係を説明する人もいた。いかにもゼミらしい会読の時間だ。ゼミ担当者は、このくだりはあまり精密な言葉遣いをしておらず単に言い換えたのではと思い、「これは筆が滑ったのではないか、effectiveとineffectiveだけで用語を統一しても文章の意味は変わらないはずだ」と主張したのだが、一笑に付されてしまった。駒場の学生おそるべし。

今日はここまで。次回は各国タックス・ギャップの差異を説明する枠組みの部分の会読に入る。さらに議論が白熱しそうな予感がする。

16 April 2025

Tariff Manを内在的に理解する?

岡村忠生「Scope Eye トランプは、世界の租税政策をどう見ているか?」企業会計77巻5号557頁(2025)は、短いコラムの中に、驚くべき読書量の蓄積を発露している。大きく3つの指摘があり、極度に凝縮された文章の含意を解き明かすのはなかなか容易ではない。

しかしながら、その1つめに限ってみただけでも、トランプ政権の関税発動の背景になる「ものの見方」について、少なくとも次の示唆を与えている(と私には読める)。

  • トランプや共和党の最も強い不快感の対象は、VATの国境税調整だ。いわく、「前段階控除の仕組みを知らない所得課税の感覚からは、輸出免税は輸出補助金であり、輸入時課税は輸入関税に他ならない。」という。
  • 全ての輸入物品に対する包括的関税は、所得税導入前の時期、財源のほとんどを関税に頼っていた19世紀の伝統を継承している。
この指摘と響きあう講演が、南繁樹「国際課税の潮流ートランプ2.0の試練」租税研究906号273頁(2025)。もとの講演日は2025年1月9日。この講演も、広く深い読書に支えられ、多くの重要な主張を含んでいる。

とりわけ、「2.『歴史の終わり』の終わり-国際課税の『脱所得税化』」という節では、「2-2.トランプ政権の関税政策はトランプ固有のものなのか」と題して、図解をまじえて詳しく論を進めている。次の箇所を引用しよう。
ここで今回、トランプ氏が関税を導入するということになると、アメリカにはVATがないわけですが、構造的に見ると輸入消費税と関税が似たような感じになるわけです。

南講演はその直後のところで、「似たような」ということの意味として、「少なくとも見た目は似ているといえるわけです」と補足する。 私の感触ではこの補足はかなり大事であり、制度的には次の点を確認しておく必要があると思う。

  • VATは輸入だけでなく、国内取引にも課される。関税は輸入のみに課される。
  • VATは財とサービスの両方を対象とする。関税の対象は税関を通る貨物だけ。
  • VATは単一税率がベスト・プラクティスといわれており、複数税率といっても日本では2本。関税の税率分類はきわめて複雑で税率がはるかに多い。
南講演はこのあたりの制度的な違いをよくご存じで、いうまでもない当然の前提としたうえで「少なくとも見た目は似ている」と述べている(と私は理解する)。そのうえで、南講演は、さらに一歩思考を進めて所得税と輸入関税の比較に関する大川良文教授の論文を参照しつつ、所得税を関税で置き換えられるのかを検討する。この論文も、外国による報復の可能性がかなり重要であることを示唆していて、勉強になる。

これら二つの論稿----ひとつはコラム、ひとつは講演録----は、思考喚起的であり、きわめて興味深い。いろいろなことが思い浮かぶ。
  • 関税の対象は貨物に限られる。この点、クロスボーダー・サービスの対価に係る源泉税に関する国連の議論は、サービスについても関税類似のものを許容する動きとみることができるか?というのも、2025年3月国連専門家会合この文書では、国連モデル租税条約新12AA条として、閾値も物理的拠点も必要とせず、サービスの対価に対して、グロスベースの源泉地課税を許容することとされたからである。
  • グロスの支払いに対する源泉税は、所得税の一部と見るのが通常だが、本当にその見方で現実の動きをうまく説明できるのか?
  • 「脱所得税化」は望ましい選択か?私たちが政策ドライバーとしての累進所得税を失ったとき、再分配の手立てを現実的に講ずることは可能か?
  • もともと、米国が連邦VATを導入できていれば、こんな話にはならなかったのではないか。
さらに考えてみたい。とりあえず今日はここまで。これから駒場に出講。

02 April 2025

第6回租税法学会賞の募集

 第6回租税法学会賞の募集がはじまっていた。

萌芽的研究を含め、若手研究者による租税法学の発展に寄与しうる研究を奨励するための賞で、関係者にはぜひとも積極的に応募してほしい。

宣伝のためこのサイトからコピペしておく。

6回(2026年度)租税法学会賞の募集について

6回租税法学会賞の応募作品を募集中です(2025/11/30〆切)。