大学のゼミで、あるグループがPosner and Weyl, Radical Markets (2018)第1章のCOST (Common-Ownership Self-Assessed Tax)について報告した。いつものように議論の時間になったが、ある参加者がかなり強い反応を示した。正確な引用ではないが、ぼくの言葉でざっくりいうと、「自分の家がいつでもオークションにかけられる世の中なんていやだ!」という趣旨だった。
これに対しては、
- もし高い選好があるのならそれだけ高い値段を自己申告したら(=その分COSTを納税したら)いいんだから、そんなに簡単に誰かに取られるわけじゃないよ
- 取られるというのはミスリーディングで、その人だってオークションの対価としてフルの値段の金銭は受け取るわけでしょ
- もっと高く評価する人の手に渡った方が、世の中全体でみるといいじゃない
などといった趣旨を含む別の人たちの発言もあった(これもぼくの言葉でざっくりと)。でも結局、議論は平行線で終わった(と思う)。ぼくも、自分がはじめて帰属所得の話をきいたときに、持家と借家をフラットに対比して、持家を居住サービスの束とみる見方そのものにショックを受けたことなど、発言したかったのだが、議論の熱さに押されて何もいえなかった。
その後すこし考えてみると、このお話、なんだか、もうかれこれ50年前から持ち越されているような気がする。Calabresi and Melamed (1972)のいわゆる「神殿(one view of the cathedral)」論文は、property rule, liability rule, inalieabilityという枠組みを提出し、それらの使い分けについて論じた古典だけど、そこで論じてることの一部がゼミの議論で再現されたように思えるからだ。オークションにかけることで、取引コストを小さくする。価格を自己申告させることで、価格評価の難しさを回避する。そうなると収用とか不法行為とか同じliability ruleで大丈夫だよね、というノリの提案。そして、そういうルールをデフォルトにするラディカルさへの反発。うまくいえないけれど、そういう構図になっていたのではないか。
「神殿」論文にもメリット財や分配的正義の話が顔を出していて、その後粘り強く、積み残された課題への取り組みも継続されてきた(吉田邦彦先生のこの訳業)。Posner and Weyl (2017)にも神殿論文への言及はある(58頁)。面白いので、もうすこしたどってみたい。