2001年1月,Xは,乙山塾情報宣伝局長の肩書を有するAの自宅に呼ばれた上,X名義で自動車ローンを組んで自動車を購入しこれをAに貸与するよう要求されるとともに,Aから「俺は足がない。どうしてくれるんだ。次はないぞ。」と脅迫されたため,やむなくこれを承諾し,同年2月,Aの指示どおり,その指定した自動車について信販会社との間で自動車ローン契約を締結し,購入した自動車をそのままAに引き渡した。2003年1月,XはAを相手に自動車の引渡を求める訴えを提起し,同年8月に請求が認容されて確定した。だが,Aの住所地が空き家となっていたため,同年10月に執行不能により動産執行は終了した。
2007年1月,Xは,県税事務所長に対し,2005年度と2006年度の自動車税(各3万7500円)の減免を申請した。適用が争われた愛知県税条例72条は,「天災その他特別の事情」により被害を受けた者のうち,必要があると認められるものに対し,自動車税を減免することができると規定している。
最高裁は,この規定の解釈として,「納税者の意思に基づかないことが客観的に明らかな事情のみを指す」と解し,本件のXはAに対し自動車を貸与することを承諾していたから,これに該当しないと判断し,減免を認めなかった。
上の解釈を導き出すロジックは,徴収の猶予について定める地方税法15条1項1号の規定とのバランスによっている。猶予の要件ですら意思によらないことが客観的に明らかな事由を挙げているのであるから,ましてや,自動車税の減免について定める地方税法162条そして本件条例72条については「納税者の意思に基づかないことが客観的に明らか」であることが必要だ,というのである。
これは,体系的解釈の手法を用いたものである。だが,よく見ると,鉄壁ではない。地方税法15条1項には,5号のように範囲を広げる余地のある規定も入っている。また,地方税法162条は地方自治の観点から条例にこまかな要件設定を委ねた,という読み方も不可能ではない。こうして,「納税者の意思に基づかないことが客観的に明らかな事情のみを指す」という解釈論を支える論証過程には,疑問の余地がある。しかも,この解釈のように意思をメルクマールにすると,横領,詐欺や錯誤など,限界事例についてかなり恣意的な線引きを強いられることになってしまう。
もっとも,事案の解決という観点からは,最高裁の結論を支える要素が事実関係の中にあるかもしれない。原審の確定した事実の中に,いろいろと不可解な点があるからである。2003年に執行不能となってから,2007年に減免を申請するまでの間,Xは何をしていただろうのか。もっとはやく,自分が自動車の所有者でないことを確定するための何らかの手続をとれなかったものだろうか。
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(以下は2011年11月5日追加)
上の点については,「ナンバープレートを返してもらえなければ廃車にできない」旨の教示を得た。それ自体が変な扱いだし,「私の名義で登録ファイルに登録してありますが実は所有者ではありません」として争えなかったのか。XがAに威迫されつづけており,そのような自助努力を期待しえなかった,といった事情があったのだろうか。いちばん知りたい点が,認定されていない。
なお,判旨は「担税力」をいう用語を2回使っている。ひとつは地方税法162条(減免)の趣旨として,いまひとつは地方税法15条(徴収の猶予)の趣旨として。これは,「所得が担税力の標識だ」というような通例の租税政策論上の用法とは異なる。最高裁は,租税徴収との関係でその人に資力がない,ということをいいたかったのだろう。
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