03 June 2025

学資金非課税をめぐる髙橋論文を読む

 髙橋祐介「四海の内は皆な兄弟たり―学資金をめぐる大阪高判令和5年7月26日裁判所HPを出発点として」租税研究907号132頁(2025)は、今年読んだものの中でもダントツに面白い。この判決を出発点としてここまで広がりのある議論ができるのか、と思わせる。

一般に、所得概念を包括的に構成する税制の下では、「純資産の増加は、法令上それを明らかに非課税とする趣旨が規定されていない限りは、課税の対象とされる」(神戸地判昭和59年3月21日訟月30巻8号1485頁)ものと考えられている。ところが、本論文は、国や地方公共団体が個人に与える財やサービスにつき、非課税の根拠規定がなくても実際には課税されていない領域に光をあて、その根拠を詰めて検討する。思考喚起的である。

本論文のタイトルは、論語の一節「四海之内、皆兄弟也」を引いている。およそ人たるもの、親族かどうかにかかわらずタダで支援しあうのが当然だ、という含意である(本論文155頁右を参照)。これは、いかにも高橋教授らしい。たまたま私が今学期のゼミで会読している文献も、人間のpro-socialな側面に着目するもので、本論文と共鳴するものがある。髙橋教授のこのお考えに同意しない方であっても、この論文が収入金額の考え方について発想の転換を迫るもので、所得概念の隠れた部分を見事にあぶりだしていることには異論あるまい。

以上を前提として、今後論点になるかもしれない(と私が思う)点を、3つだけ挙げておく。

*まず全体の論旨について。現在の日本の取扱いの位置づけとして、法令上は課税すべきなのに執行が不足している、という見方をどう考えるか。高橋論文はこの見方を意識していて、「単に課税を差し控えているだけという可能性は否定できない」と述べる(143頁右)。また、国から提供された無利息貸与について、貸与を受けた者の収入金額に算入されるべき利息相当額の経済的利益は、「あっても課税最低限以下の少額なので、課税されない(あるいはそう考えて課税庁は特に調べていない)」という可能性に言及する(145頁左)。この問題は、フリンジ・ベネフィット通達が多くの場合につき「課税しなくて差し支えない」という指針を示していることと同根で、私も以前から気になっているところだ。

*本論文は、①親(サラリーマン)が子(大学生)に仕送りをするケース、②勤労学生のケース、③財団から給付型奨学金を受ける大学生のケース、の3つを比較して、現行法の下でケース②が課税上不利に扱われていると指摘する(140-142頁)。これはオリジナルな分析で、とても興味深い。詳細な論旨は原文にあたっていただくこととして、私の読解によれば、この分析のポイントは、(A)納税主体をどうカウントするか(「一人か二人か」問題)、(B)原資に対する課税の確保(=非課税で消費に充てることを防止する)、である。さて、この分析にあたり、髙橋論文は、ケース③の奨学金受領者をケース①の仕送り受領者と等しく扱う(tax parity)という説明を行っている(142頁左)。これは、所得税法上の学資金が基本的に一律非課税であるという制度の黙示的意図を説明する、という文脈で出てくる言明である。すこし気になるのが、このことの根拠がどこにあるかである。ケース③において、財団は、たしかに支出非控除なのだが、収益稼得時に非収益事業として非課税を享受する場合があり、その範囲では原資に対する課税が確保されない(上記のポイント(B))、ということになるのではなかろうか。

*無利息融資については、米国内国歳入法典7872条のように経済的利益の移転について根拠規定を設けたうえで、非課税閾値を設けるのがスッキリするのではないか。包括的所得概念でみていくと収入・控除のあたりがなかなか難しいので、制定法でえいやっと整理したうえで、de minimusの趣旨で閾値を設けて執行コストを抑えつつ、高額利益享受者には課税する、という方向である。もっとも、これに対しては、政府から無償で貸与されるのは金銭のみに限らず、住宅や車椅子、障害者用のヘルメットといったものも貸与されるところ、どうして融資だけに対象を限定するのか、という批判がありうる(この批判については髙橋教授のメールでの示唆による)。たしかに理屈をとおせば、金銭貸付けに対象を限ることはできまい。米国法の展開も、プランニングに用いられる顕著な例にその都度対応した、という過程の一コマとして理解すべきかもしれない。

以上の他にも、沿革に照らした立法趣旨の整理(138-139頁)や、立替払い(149頁以下)、移転の扱い(154頁)など、本論文には興味深い指摘がたくさんある。本論文の提起する問題を深く掘り下げていくと、究極的には、「支援が支配を生む可能性をどう考えるか」という難問に立ち至る。本論文が多くの読者を得て、後続の議論が新たな光を当ててくれることを期待したい。