23 December 2025

二羽のウサギを仕留める井上弁護士

井上康一・租税条約と国内税法―プリザベーション条項の歴史と意義(東京大学出版会2025)は、二兎を追う書物だ。一羽目は、「租税条約は国内租税法上の恩典を制限しない」というプリザベーション条項が確認規定である、という定説を覆すこと。二羽目は、租税条約解釈論を再構築すること。はしがきにそう書いてある。

本書から感銘を受けるのは、疑問に対して正面から向き合い、かつての自説を乗り越えようとする知的誠実さだ。かつて、2011年の共著において、井上弁護士はプリザベーション条項を確認規定ととらえ、租税条約解釈論を展開した。その真骨頂は個別条約規定を素材とする各論の検討にあり、私も高く評価してきた。他方で、プリザベーション条項の位置づけについては、いわば消極要件の不充足を念のためにチェックする、という意味をもつにとどまるというのが、2011年の共著を書評したおりに私が感じたことだった。今回新しく公表された本書は、プリザベーション原則は幻であり、プリザベーション条項が確認規定か創設規定かを議論する実益自体がない、という立場に到達している。井上弁護士はかつての自説を乗り越えたのである。

二羽目のウサギ、すなわち租税条約の再構築についてはどうか。一言で言えば、上書き特定型と違反審査型の二類型の提示によって、新たな境地を切り拓くことに成功している。松田浩道教授の問題提起を真摯に受け止めて、裁判例の悉皆的検討を行うなど、深く検討を重ねた成果だ。私は、松田説の租税条約解釈論上の意義に注目してきた一人であるから、この方向への井上弁護士の知的前進を慶賀したい。

本書カバー写真は、ブールデルの弓をひくヘラクレス。剛腕が二兎を射止める瞬間をとらえる。国立西洋美術館の前庭でみることができる。




No comments:

Post a Comment

Comments may be moderated for posts older than 7 days.