2024年度ゼミ「人はなぜ納税するか」の感想
1.はじめに
今回のゼミは通年開講で、「人はなぜ納税するか」という問いを、文献会読の形式で追求した。まず、Sセメスターの歴史編・比較編では、日本法現状把握のための準備作業を経て、Keen & Slemrod (2021)の概説からはじめ、米独仏における特定時期の歴史や、途上国税制・米国反税運動・タックスギャップ推計・租税犯罪グローバル十原則を取り上げた。
これに続き、Aセメスターでは、現代的問題に関する文献を会読してきた。文献リストの作成にあたって意識したのは、狭義の法解釈学の論文に視野を限定するのではなく、法学との隣接領域にも可能な範囲で目配りすることだった。なぜなら、「人はなぜ納税するか」という問いに対しては、さまざまな学問分野からのアプローチが試みられているからだ。こうして、素材の面でも方法の面でもかなり広範な読書リストができた。このような文献に対して、法学部・法科大学院で学ぶ参加者のみなさんが「好き嫌い」せずに旺盛な「知的食欲」を示されたことを、うれしく思う。これが最大の感想。
以下、Aセメスターで会読した文献を、簡単に振り返ってみよう。
2.AI
AIについては2本を取り上げた。Chand, Kostić & Reis (2020)は、AI重課論を退けたうえで、人的資本蓄積のための教育目的税を提唱する論文で、構えが大きい。Daly (2024)は、税務行政におけるAI利用が法の支配に役立つ可能性を指摘する点が新鮮だった。AIに関しては論文が量産されており、継続的に追いかける必要があろう。
3.暗号資産
Baer, Mooij, Hebous & Keen (2023)は、暗号資産(仮想通貨)の課税に関する要領のよいレビュー。有益な指摘として、Bitcoin課税の根本に「有価証券と通貨の二元的性質」があることや、実態に関するデータが不十分であること、執行面の課題が大きいことがあった。このブログでも記事を書いた。なお今回は、Blockchain関係の文献は取り上げなかった。
4.米国のLaw Review論文
やや古いものとして、思考実験風の論文と、現実的な政策提言を行う論文を、選んだ。Raskolnikov (2009)は、納税者に選好を顕示させる仕組みを論ずる。抑止レジームと遵守レジームのいずれかを納税者に選ばせるという思考実験が興味深い。もっとも、フロアの議論では、納税者の権利を「切り下げる」面があることへの抵抗感もあった。また、変数をいじるに際して税務職員の動機を無視しているのではないか、という問題もある。
より現実的な論文が、Bankman, Nass & Slemrod (2016)のスマート申告の提案である。申告書文言の改善や、会話型エージェントの利用につき、パイロット研究を行うべきだと提案する。この論文から約10年が経過し、いまや各国税務行政のトレンドとなった感がある。日本型記入済申告書の先駆的指摘とみることもできるかもしれない。
5.レビュー論文
多数の文献をレビューする論文を、2本取り上げた。Hahn & Pérez (2020)は、租税専門家に関する合計46本の文献(2013年から2018年の間に公刊)をレビューする論文。納税者・課税当局・税務仲介者の三角関係を軸に、多様な学問領域のジャーナルを探索した点で資料的価値がある。次の課題としては、専門家責任や倫理に力点を置いて、より長い時間的スパンで、各文献への評価を率直に語る、といったものがありそう。
Hoopes, Robinson & Slemrod (2024)は、法人による租税情報の開示に関するまとまった文献レビュー。強制開示・自発的開示・第三者開示という分類軸に、非公開(=課税当局に対してのみ)・公開の区別を加える整理がわかりやすい。CbCRやFATCAなど実例の提示も包括的。日本でもタックスシェルターの義務的開示(MDR)が議論されているところ、何が機能し何が機能しないに関する多くの実証研究を前にすると、議論の更新が必要と感ずる。
6.脱税・腐敗
「人はなぜ納税するか」は、裏をかえせば、「人はなぜ納税しないか」ということでもある。そこで最後に、納税非協力に着目して、2本の論文を取り上げた。de la Feria (2020)は、付加価値税の逋脱(VAT fraud)を素材にして、EUにおいて、逋脱そのものを禁圧するのではなく、逋脱を管理するやり方に転換してきたことを批判する。やり玉にあがるのが、第三者に加重責任を負わせる犯罪コントロールの民間化(responsibilization)である。税収確保のために制度と執行を最適なレベルに調整する発想(たとえばHemelらのBETR)への対抗言説とも読める。
Ring & Grasso (2023)は、シンポジウムの巻頭論文である。その中心的主張は、賄賂よりも広く汚職・腐敗(corruption)を、脱税よりも広く税制濫用(tax abuse)を、問題にすべきだ、というもの。アイルランド政府がアップル社に与えたsweetheart tax dealを素材にするなど、米英EUにおける旬の話題が学べる。制度的腐敗(institutional corruption)に対する問題意識がよくわかるし、広い定義を採用することで隠れた問題を認識できる。もっとも、間口を広げる分だけ、効果的対処は一層困難になるのではないか。
7.文献選択のバイアスについて
Aセメスターで会読した文献は、やや、英米の素材に偏っていたかもしれない。バイアスを中和するために、班別討議やフロア全体討議では、つとめて、日本の状況との比較を話題にした。Sセメスターから参加した方々は、独仏の歴史や途上国の税務執行についても議論した。
昨年度のゼミでは、Levi(1988)やBraithwaite(2007)など、理論枠組みに関する文献も取り上げていたが、今回はそうしなかった。その結果、理論的コアの押し出しが弱く、多様な各論が並列している、という印象を与えたかもしれない。安易な「体系化」を阻む奥の深い領域だけに、信頼に関するScholtzの議論などをはじめとして、引き続き検討が必要。
8.おわりに
今回のゼミで会読したのは、各論題に関する多くの文献のうち氷山の一角である。取り上げなかった論題も多い。時間制約の中で、参加者はよくがんばった。
継続は力なり。来年度は駒場の「社会科学ゼミナール」に場所を移して、基本的な文献会読を継続したい。