30 June 2022

二国間租税条約の正文テクストは必ずしも日本語というわけでない

授業教材リンク「租税条約へのアクセス」の更新作業で、日本語正文とか、英語正文とか、日本語テクストとか、ややこまかい書き分けを行った。これは、日本政府の署名した二国間租税条約の正文が、相手国によってまちまちだからだ。たとえば・・・

  • 日米租税条約の場合、2013年1月24日にワシントンで、ひとしく正文である日本語及び英語により本書2通を作成した、とあるので(引用はこれの32頁による)、日本語が(英語とともにひとしく)正文。
  • 日英租税条約についても、2006年署名の原条約については同様。しかし、これに、BEPS防止措置条約(MLI)の修正が加わる。MLIは多国間条約で、その正文は英語と仏語(これの最終頁を参照)。日本語を正文としない多国間条約が、日本語も正文とする二国間条約を修正することになる。なお、財務省のサイトには、MLIによる修正を織り込んだ統合条文を日本語で提供してくれており、たいへんありがたいのだが、そこには注意書きとして、「この文書の唯一の目的は、条約に対するBEPS防止措置実施条約の適用に関する理解を容易にすることであり、この文書は法的根拠となるものではない。条約及びBEPS防止措置実施条約の正文のみが、適用可能な法的文書である。」と書いてある(これの1頁囲みを参照)。
  • 日仏租税条約については、1995年署名(2007年改正議定書に署名)の原条約の正文は日本語と仏語だ。これを、MLI(正文は英語と仏語)が修正する。
  • 相手国の公用語との関係では、別のパタンが生ずることもある。ブラジルとの租税条約の正文は、日本語、ポルトガル語、英語であり、解釈に相違のあるときは英語の本文による(これの67頁を参照)。
  • 英語一本だけでいく租税条約もある。シンガポールとの租税条約には、何語が正文テクストであるかを記さず、英語により本書2通を作成した、と書かれている(これの2029頁を参照)。オランダとの租税条約も同様(これの最終頁を参照)。
というようなわけで、他にもいろんなパタンがある。正文テクストは必ずしも日本語というわけではない、ということを明示したくて、書き分けてみた。

もちろん、日本の国会で租税条約の締結を承認する場合、参考資料として提出されるのは日本語テクストだ。市販の租税条約関係法規集などにも日本語版(の統合条文)が載っており、日本の実務では日本語テクストを前提に議論することが多いだろう。日本法の専門家がアプローチする場合に日本語テクストを使用することは合理的である。しかし、翻訳に一定のズレがつきものであることを意識して、本来は何語が正文であるかを意識することもまた大切と思う。とくに、租税条約上の相互協議の局面など、相手国の人と議論するような場合には、このことは必須だろう。

28 June 2022

まだ、法学を知らない君へ(2022)

1年くらい前、白石忠志教授のおさそいで、東京大学教養学部の1年生2年生を対象に、オムニバス講義の一コマを担当した。そのときの記録を、『まだ,法学を知らない君へ――未来をひらく13講』に掲載していただいた。全体の目次は下記引用の通りで、ぼくの講義は第10講「GAFAの利益をつかまえる――経済のデジタル化と国際課税ルール」。

その後の展開もあり、寄稿のために書き言葉にしていく過程はなかなか楽しかった。ここで種明かしをすれば、もとになった講義は、(もちろんそれなりに準備はしたものの)ノリのいいジャズライブのように即興感あふれるもので、司会の白石教授にいろいろなことを教えていただき、オンライン参加者との対話もはずんで、さらに愉快だった。 

はじめに(白石忠志)
第1講 デジタル社会と憲法(宍戸常寿)
第2講 同性カップルと婚姻(沖野眞已)
第3講 刑法は個人の尊厳を守れるか──性刑法の改正議論を題材に(和田俊憲)
第4講 金融サービス仲介業制度の導入(神作裕之)
第5講 役員報酬と法(飯田秀総)
第6講 非正規格差をなくすには(神吉知郁子)
第7講 著作権法の過去・現在・未来(田村善之)
第8講 プラットフォーム全盛時代に適正な競争を確保する(白石忠志)
第9講 ビッグテックの台頭──競争法は機能しているか?(Simon VANDE WALLE)
第10講 GAFAの利益をつかまえる──経済のデジタル化と国際課税ルール(増井良啓)
第11講 国家間のサイバー攻撃をどう規制するか?──国連におけるICTs規制論議の経緯・現状・課題(森肇志)
第12講 契約とContract──比較法からパンデミック・オリンピックまで(溜箭将之)
第13講 一人一票の原則を疑う(瀧川裕英)



09 June 2022

Murphy & Nagel (2002)に関する20年後の日本における議論

Liam Murphy and Thomas Nagel, The Myth of Ownership: Taxes and Justice (Oxford University Press 2002) は、世界中で読まれてきた作品だ。伊藤恭彦教授による日本語訳もあり、日本の学界でもよく言及される。私もゼミで会読し、おおいに刺激を受けて、一人の法律家として応答を試みる論文まで書いた。

この作品に関して亜細亜大学の藤岡大助教授がごく最近、「『税と正義』と分配的正義構想」という論説を公表していた。分配的正義の包括的体系を棚上げにしたまま租税の正義だけを論じることはできない。このことを再確認させてくれる。

2022年6月9日の第12回税制調査会における藤谷武史教授の発表(当日の画面共有資料)においても、平成12年答申における分配的正義の議論の扱いに言及するくだりで、「税制の公平から分配の公平へ」というキーワードが出てきた(スライド5頁)。

Murphy and Nagelの主張が広く知られるようになったいま、租税政策の側では、分配的正義の諸構想に接合できるに足る《課税後》の分配状況に関する実証的知見の蓄積が、ますます大事な課題になってきているのだろうと思う。