20 May 2025

マグナカルタ原本発見と所得概念

 マグナカルタの原本がHarvard Law School図書館で発見された。1946年にオリジナルとは知らずに27ドル50セントで購入したものだという。BBCの上記報道によると、

  • 現在、1215年から1300年までの各版に由来する原本のうち、25点が現存しており、その大半はイギリス国内に保管されている。
  • 現在の価値についてヴィンセント教授は、「具体的な金額を示すのはためらわれるが、2007年にニューヨークで競売にかけられた1297年版のマグナ・カルタは2100万ドル(約30億6000万円)で落札された。つまり、非常に高額な価値があるということだ」と述べた。

とのこと。HLSのウェブサイト記事はこれ。日本でもたとえばこの報道

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この話は、所得について考える素材として使える。そこで昨日の租税政策ゼミで、この話を改変して仮想の設例をつくり、所得概念の復習をやってみた。

【設例】Aさん(日本の居住者)が古本屋でマグナカルタを10万円で買った。それが2000年のことで、本物ではないと思っていた。ところが2025年になって、本物だとわかった。時価は30億円だ。

【問題】Aさんに所得は発生しているか。

【第1説】Aさんは2000年に時価30億円のものを対価10万円でもって低価購入している。だから2000年に29億9990万円分の所得が生じる(実体法レベル)。古本屋が法人だったら一時所得、個人だったら贈与税の課税対象だろう。もっとも現実には5年の除斥期間が満了しているから、いまさら税務署長が決定処分をすることはできない(手続法による課税の制約)。

→この第1説の問題は、2000年の時点で時価が30億円だったといえるか、だ。神の眼からみればそうなのかもしれない。しかし、2025年に本物だとわかるまでは、誰もが本物ではないと信じて、「せいぜい10万円くらいだな」と値付けしていたのではないか。とすれば、2000年の時点で課税すべきだったという立論には弱点がある。

【第2説】Aさんが2025年にこれを30億円で売却したら、取得価額10万円と総収入金額30億円の差額につき、譲渡所得が生ずる。これに対し、譲渡せずに保有し続けていれば、未だ所得は実現しておらず、課税されることはない。

→所得税法は実現原則を採用しているから、この構成は実定法の適用として自然である。購入後に長期間保有していた株式がある時点で大化けして値上がりした場合と同様だとみるわけだ。多くの専門家は、おそらくこの第2説に賛成するであろう。

→なお、実定法以前の所得概念の問題としては、30億円もの値段がつくメカニズムやタイミングについて検討の余地があるかもしれない。それは、美術品の値付けなどと共通する問題として整理できそう。

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昨日のゼミではこのあたりで議論を終えた。やっていけばもっと深く突っ込むことができそう。ただしこれが素材として「受ける」かどうかは、教室で学生さんが「面白い」と思ってくれるかによる。実際、ゼミ後の雑談では、この話ではなく、生成AIの加速的進化がここ数か月で驚くべき状況にあることで、盛り上がった。

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(2025/05/21追記)

上の論述は第1説を退け第2説を推した。これに対し、仮に第1説をとった場合、2000年の受贈益課税に加えて2025年以降の譲渡所得課税が生ずるのではないか、という問題がある。つまり、第1説と第2説は必ずしも択一的関係にある(mutually exclusive)わけではないのかもしれない、というややこしい問題である。

現実問題として、受贈益課税と譲渡所得課税を重ね合わせるのは、(時間差や除斥期間をひとまず脇に置いて考えれば)過大負担を生む危険がある。解釈論上の技術として、第1説の論者は、資産売却時の譲渡所得の算定上、取得費を30億円とすることを志向すべきであろう。参考になる考え方として、渋谷雅弘(2022)「無償取得資産の取得費新規取得費」が、資産の無償取得について新規取得費方式が原則ルールになると論じている。

13 May 2025

豪州国税庁のAI利用について、AIにきいてみた

税制調査会専門家会合(座長 岡村忠生教授)で、早稲田大学の岩崎尚子教授が、「デジタルガバメントの国際比較と経済社会のデジタル化の進展」と題する報告をされた。それによると、デジタル政府世界ランキングでデンマークのように上昇してきた国もあり、日本のように低下傾向にある国もある(スライド10頁)、とのこと。AI利活用も進んでいて、「世界の税務当局の50%以上がAIをリスク評価や不正検知に活用(OECD調査)」(スライド22頁)という。質疑応答を通じて、AI人材不足や自治体対応など、多くの課題が浮き彫りにされた。

中でも重要な課題がAIガバナンスだ。この点について、オーストラリアでは2025年2月、Australian National Audit Office (ANAO)によるレビューが公表されている。このレビューは、豪国税庁(Australian Taxation Office)を対象として、そのAI導入と管理体制に関して包括的な評価を行った。評価の観点は、1)AI導入のためのガバナンス体制が効果的か、2)AIモデルの設計・開発・導入プロセスが効果的か、3)AI導入後のモニタリング・評価・報告が効果的か、の3つ。7つの勧告が出されている。このあたりは、Perplexityで検索をかけてみると、すぐに(日本語で)要約が手に入る。

今日のお話のようにシンギュラリティが予想外に近いのだとすれば、AIが暴走しないための枠組みづくりは税務行政においても大事な課題だと思う。他方で、納税者への助言サービスのほうも急速にAI利用が進むから、民間利用についても考えるべき点が多いはず。

さらに、今後AIが意思決定の前面にでてくるようになると、従来からの通念にも再考が迫られる。すなわち、「人はなぜ自発的に納税するか」については、合理的効用計算だけでは説明できず、社会規範とか信頼とかの要素が働いていると考えられてきた。しかし、AIが損得勘定だけで走るようになっていたら、AIによるプランニングや申告は、生身の人間によるそれとは異なるものになることが容易に予想される。専門家倫理として議論されてきた問題は、私たちがAIに依存するようになった社会では、どうなっていくのか。

さらに憶測を重ねよう。AI主体の納税環境の下では、税務行政のアプローチにも再考が必要になってくる。「人はなぜ納税するか」も違って見えてくるだろう。国ごとの違いが何に起因するかという問い自体が、あるいはひっくりかえるかもしれない。生成AIはつくづく、game changerだ。