白石忠志先生の肝煎りで、本年度も駒場「現代と法」オムニバス講義が開かれた。その最終回に呼んでいただいた。断続的な雨の中、朝から多くの学生さんが出席してくれた。
1.私のプレゼン
昨年に続き、《人はなぜ納税するか》について手短にお話しした。私の主要なメッセージは、納税行動が単純な損得勘定だけでは説明できず、知的に興味深いパズルを提供している、ということだ。公共財提供に関するフリーライド問題からはじめ、租税債権の自力執行権や脱税に対する加算税や罰則などの制度的背景を概観したのち、今回はとくに、Steinmoらの歴史的制度論と実験室実験に焦点を絞って、「ある国で脱税が多く別の国で脱税が少ないのはなぜか」という問いを扱った。しかるのち、より実践的な課題に視点を切り替えて、応答的規制の税務行政への応用としてのValerie Braithwaite (2003)の「執行ピラミッド」を紹介し、tax gap推計の有用性や、Tax Administration 3.0に言及しようとしたあたりで、制限時間になった。
2.白石先生の助け舟
私のプレゼンの途中で、いくつか枢要な点について白石先生から「助け舟質問」があった。それらは、私のプレゼンでロジックが飛んでいる点や、比喩的・印象論的な言葉使いをしている点についての的確な指摘だった。ありがとうございます。
- (指摘)単純なTAG(Taxpayer as Gambler)モデルだと「ばれてもともと」ということになるというが、どういうことか?→(増井応答)事前(ex ante)の見地からみた期待値ベースで、実調率を織り込んで「合理的(これはとても限定的な意味におけるそれ)」に損得計算するとそうだ、という意味。本税に加えて制裁としての加算税を納付する場合であっても、摘発確率との関係でそうなる、というロジックだ。
- (指摘)「執行ピラミッド」にいう協力的態度と非協力的態度を、課税庁はどうやって見分けるのか?→(増井応答)応答的規制の考え方では、ピラミッドの下から上へと、規制を徐々に強めていくことで判別する。まず全員に対して広報や教育、サービスによって助力する対応をとる。それでうまくいかない場合には記帳指導などかかわりを強めていく。抵抗があればサンクションを伴う税務調査へと、さらには刑事告訴にまで至る。
- (指摘)リアルタイムでシームレスに情報が共有され、「ガラス張り」になる、というとき、カネの出入りが分かるようになるのは誰か?→(増井応答)国だけでなく、取引相手全体で情報を共有するイメージ。その利点はコンプライアンス費用削減だが、いいことばかりといえるかが考えどころ。国と事業者の間の情報共有に抵抗が少なくなるのは、国への信頼が確立している場合であろう。→(再指摘)事業者間の文脈では、強い業者が弱い業者に事業情報の開示を強要することが問題となる例がある。
- (意見開陳)Steinmoらは、自己利益・規範・価値がどのように納税コンプライアンスに影響するかを実験室実験で調べている。そこで想定されているのは、制度(institutions)がインセンティブを通じて自己利益に働きかけ、徐々にその集団の暗黙のルールとして固定化されて規範となる、というループ。しかし、規範が先行し、あとから政府が制度を導入する、という例もあるのではないか?→(増井感想)規範から制度へというループもあるかもしれない。Steinmo & D'Attoma (2021)59頁の下の方の段落でも、Bergman (2009, 42)を引用して、the institutionalization of normsを語っている。うまい具体例をおもいつけていないのだが、たとえば、「Aについては皆が納税していない」「それをうけて法律でAを非課税とする」といったような場合だろうか(?)。
- (意見開陳)Steinmo (2018)は、スウェーデンのルター派教会とイタリアのローマ・カトリック教会の果たした役割を対比する。そこで、宗教は文化か制度か、という問いを提起したい。→(増井感想)この意見開陳において、宗教の内容でなく宗教の組織について話します、と慎重に補足された点が大事だと思う。「教会が制度だ」というときには、教区人口の世帯構成や不動産所有状況などを把握し、その情報を管理する能力に着目している。それは世俗組織の営むmonitoring機能と変わらない。なお、重要な補足として、スウェーデンとイタリアの現況を歴史的制度論でもって説明するこの話を相対化するものとして、Steinmo & D'Attoma (2021)の実験結果は、単純な文化論やステレオタイプを排している。つまり、人々の遵法志向の分布は似通っており、むしろ制度の強弱が実際のtax gapの違いをよりよく説明する、というのである。
- (質問)巨大IT多国籍企業のような場合、Steinmoらの語る自己利益・規範・価値という枠組みは通用するか?→(増井応答)株式会社の場合、株主利益の最大化という意味で自己利益で説明できそうだが、これに対してはESG投資など別の流れもある。日本企業は欧米企業ほどagressive tax planningをしないという話がある。→(指摘)増井応答の後半とかぶるが、日本のJTC(Japanese traditional company)と呼ばれる企業の行動原理は、評判を重視する。
- (質問)税務調査にかかる人件費などのコストと比べて、税収回復やみせしめ効果などは計量できているのか?→(増井応答)EBPMの課題だ。これの18頁。
5.Braithwaite再訪
今回の準備過程では、Valerie Braithwaiteの仕事の意味がすこしわかってきた。彼女の「執行ピラミッド」は、オーストラリアでのアンケート調査によって納税者の態度(motivational postures)を析出したもので、心理学の手法で仮説を検証していた。一人の個人が複数の態度を併せ持つことがありうること、態度と行動は必ずしも一致しないこと、抵抗を対話の契機ととらえるオープンな姿勢、などは、執行ピラミッドを「独り歩き」させないための重要な留保だと思う。
私が熱烈に知りたいのは、このピラミッドの形状が現在の日本でどうなっていて、これからどのように変化していくかである。
6.おわりに
昨年度の「現代と法」に出ていた学生の方から、「今年のほうがレジュメがわかりやすかった」とのお言葉があった。1年たつと(すこしは)進化する。すなおに誉め言葉ととっておきたい。