17 August 2020

不平等研究の文献バトル,コロナ以前

Saez and Zucman, The Triumph of Injustice - How the Rich Dodge Taxes and How to Make Them Pay (2019)は,勇ましい書物である。読者の心を突き動かして,鼓舞するようなところがある。ところがその文献リストには,不平等をより小さく見積もるAuten and Splinter (2019)などが,載っていない。米国で貧富の格差が増加していることがすでに顕著な事実であるだけに,多くの読者は,一つの推計から特定の政策に飛びつく危険があるのではないか。実際には,より精密な実証結果を求めてプロのエコノミストの間で具体的な数字の当否が真剣に議論されている。この事実は,法律家の観点からみても,もっと広く知られてよいと思う。(なお,この書物によるeconomic substance doctrineの理解や,国家主権のとらえ方については,法律家として言いたいことがないわけではないが,ここでは触れない。)

まさにこのような学問的論争の様子を伝えるのが,The Economist2019年11月30日号の記事Measuring the 1%だ(TaxProfBlogにも一部を抄録)。COVID-19以前のものではあるが,なお有益。ほんの数頁で,多くの文献をサーベイしている。そして,Piketty, Saez, Zucmanらの推計よりもヨリ小さな数字を示す研究があることに注意を促して,政策形成者に慎重さを求めている。この記事が出されたのは,米国大統領選挙で民主党候補を誰にするかが争われ,WarrenやSandersが財産保有税の構想を打ち出していた時期である。大きな論点は4つ。

トップ1%の所得 欧州では所得集中がそれほどでもないというのがBlanchet et al. (2019)。そして前述のAuten and Splinter (2019)が,課税と社会保障の効果を考慮に入れた場合には,米国でもトップ1%の所得のシェアは1960年代以降増えていないとする。Auten and Splinter (2019)によると,Piketty, Saez, ZucmanによるDistributional National Accountのプロジェクトには,個人所得税の申告に出てこないmissing GDPの扱いにいくつかエラーがあるという。

中間層の所得停滞 Rose (2016) これ

労働分配率の減少 Rognlie (2015)  Smith et al. (2019)  Cette et al. (2019)

富の計測 Auten et al. (2013)  Hirschl and Rank (2015) Saez and Zucman (2016) Smith et al. (2020) Jakobsen et al. (2020)

この記事に対しては,LSEの人が反論をアップしている。こうして論争は続く。新型コロナ感染症の拡大は富の分配状況にも大きな影響を与えているはずであり,それを織り込んだ事実認識が今後特に重要。日本の現況についても,プロによる精密な計測が待たれる。