02 October 2023

ねじまき鳥と所得税

今年もノーベル文学賞の発表が近い。村上春樹・ねじまき鳥クロニクル(第1部泥棒かささぎ編)のはじめのほうに、こんな一節がある。

妻は主に健康食品や自然食料理を専門とする雑誌の編集の仕事をしていて、まずまず悪くない給料をとっていたし、他の雑誌をやっている友だちの編集者からちょっとしたイラストレーションの仕事をまわしてもらっていて(彼女は学生時代ずっとデザインの勉強をしていたし、彼女の目標はフリーランスのイラストレーターになることだった)、その収入も馬鹿にはならなかった。僕の方も失業したあとしばらくは失業保険を受けとることができた。それに僕が家にいて毎日きちんと家事をすれば、外食費やクリーニング代といった余分な出費を浮かすこともできるし、暮しむきは僕が働いて給料をとっているときとたいして変わらないはずだった。

そんな具合に僕は仕事を辞めた。 

所得税法を学ぶと、この一節の中にいろいろと潜在的な課税上の論点が存在することに気がつく。

  • 妻は主に健康食品や自然食料理を専門とする雑誌の編集の仕事をしていて、まずまず悪くない給料をとっていた→妻の給与所得
  • 他の雑誌をやっている友だちの編集者からちょっとしたイラストレーションの仕事をまわしてもらっていて、その収入も馬鹿にはならなかった→妻の副業から生ずる所得がおそらく雑所得
  • 彼女は学生時代ずっとデザインの勉強をしていたし、彼女の目標はフリーランスのイラストレーターになることだった→妻の人的資本を高める支出があったとしても、収入稼得とのタイミングのズレもあって、給与所得の特定支出控除や雑所得の必要経費にはなりそうにない
  • 僕の方も失業したあとしばらくは失業保険を受けとることができた→失業手当には所得税がかからない(雇用保険法12条)
  • 僕が家にいて毎日きちんと家事をすれば、外食費やクリーニング代といった余分な出費を浮かすこともできるし、暮しむきは僕が働いて給料をとっているときとたいして変わらないはずだった→家事労働から生ずる帰属所得はもともと課税対象外
もっといえば、日本法は個人単位主義なので妻と僕がそれぞれ所得税の納税義務者になることとか、妻の所得税の扶養控除との関係では僕の失業手当が非課税のため扶養判定における収入にカウントされないこととか、僕が仕事を辞めた時に退職金を受け取ったとすれば退職所得になることとか、他にもいろんなことに気がつく。

こんなことに気がついても、小説の面白さに比べればそれがどうだ、ということではある。ただまあ、この一節を読むと、1990年代初頭にこれを書いた当時の村上春樹は所得概念の話を知っていたのではないか、という感じがぬぐえない。


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