21 September 2019

Atul Gawande, Being Mortal (2014)

2016年の日本語訳でようやく読んだ。衰え死すべき生物であることが何を意味するか。ひとつひとつのエピソードが心を打つ。原井宏明氏の訳もいい。たとえば,娘のシェリーが父親をアシステッド・リビングに入れたときのくだりは,こんな感じ。
シェリーがもっとも気になったことは,人生で父親が何を大事にしていたか,入所で何を諦めざるをえなかったのかについて施設の職員がほとんど興味を示さなかったことだった。この点について無知であることを自覚すらしていなかった。職員は自分たちのサービスをアシステッド・リビングと呼んでいるかもしれないが,誰ひとりとして父親をアシストして生活できるようにすること――父親にとってもっとも大事な人との絆や喜びをどうすれば保てるのかを考えること――を自分の仕事だと自覚しているようには見えなかった。職員の態度は残酷さよりも,無理解さの結果のようだったが,トルストイが言ったように,この二つの間に根本的な違いがあるのだろうか?(98頁)
ぼくの知らなかったコンセプトも,いろいろと紹介されている。たとえば,社会情動的選択理論(socioeomotional selectivity)。このところ何となく,割引率という概念が気になってきたけれど,残されたタイムスパンに関する視点という説明ですっきりするところがあるような気がする。

みすず書房の上のリンクから一部をダウンロードして読めるし,2015年のこのビデオも見ることができる。

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