24 June 2020

オフショア間接譲渡ツールキットを読んでみた

PCTのThe Taxation of Offshore Indirect Transfers Toolkitを,法科大学院のゼミで読んでみた。一人だけで読むのとは違って,いろいろな角度からの質問や意見が出て,この文書をいますこし多角的に読むことができたと思う。参加者に感謝。
  • Vodafone事件のインド最高裁判決(24頁)は,どういう理由付けで課税を否定したのか?長い判決だから全部読むのはなかなか大変。しかし日本でもいくつか研究があるし,その中でも居波論文などはオンラインで簡単に読める。
  • この文書はモデル1(原資産のみなし譲渡課税)とモデル2(外国株主による株式譲渡益に対する課税)の間で優劣をつけていないという(7頁末尾)。でも,途上国の税務執行資源不足を考えると,モデル1のほうがおすすめ,ということではないか?
  • モデル1については,二重課税を排除できないとか,現地会社の法人格の独立性を否定しているとかのデメリットがあるという(43頁)。これは資本輸出国や多国籍企業の利害を反映したものではないか?逆に,モデル2は執行面で課題があるということだ(51頁)。となると,モデル1とモデル2のどちらを選ぶかというレベルで,資本輸出国や多国籍企業vs.資本輸入国の潜在的対立があるのではないか?
  • 中間に介在する会社の居住地たるLTJ(low tax jurisdiction)は,このような課税を嫌うのではないか(11頁の設例)?原資産所在地国が源泉地課税を拡張するあまり,LTJの経済戦略を損なう形で課税の手を伸ばしてしまっているのではないか?また,そうだからこそ,税務執行上の課題が生ずるのでは?租税条約で規律すべき事項では?MLI9条にケイマン諸島などは文句をいわないのか?
  • 原資産所在地国がLSR(location specific rent)をつかまえることに国家間衡平および効率性の観点から理由があるというのがこの文書のスタンス。このスタンスを真剣にとらえる場合には,不当に手を伸ばしているという評価にはならないのではないか?
  • 多国籍企業としては,原資産所在地国のキャピタルゲイン課税を回避するために,何層にも株式所有関係を作り出して,上流の株式を譲渡することで,原資産そのものを譲渡したのと同様の経済効果をもたらすことができる。ならば,原資産所在地国が課税の手を伸ばしていくのも自然ではないか?
  • 原資産所在地国の居住者が,わざわざLSRのentityを介して,自国の不動産化体株式を所有する場合がある(round tripping)。このいう使われ方には防御策を講じてしかるべきではないか?
  • この文書を読んだ途上国の租税政策立案者は,勇気づけられるだろうか?2つのモデルの提示や,対象資産の定義の重要性の指摘は,たしかに役に立つだろう。でも,執行面の課題が大きいというアキレス腱について,改善の見込みはどれほどあるのだろうか?
  • この文書は,各国がまちまちの国内法をもっているので,より統一性のとれたアプローチが租税の確実性(tax certainty)を向上させる,と結んでいる(55頁)。本当だろうか?
だいぶいろんな論点を生む力のある文書であることが,議論していて感じられた。ほかにも,脚注4で主要な先行研究をおさえている点,Kaneの議論を踏まえて税収上の含意をタイミングのそれと同定している点(これはモデルの前提条件に依存しているものと思われた),モデル租税条約13条4の採択動向を実証的に示している点(39%だったという)など,研究面で参考になる点が多い。
Cover page of Toolkit For Addressing Difficulties in Accessing Comparables Data for Transfer Pricing Analyses - Discussion Draft

13 June 2020

Cristobal Young, The Myth of Millionaire Tax Flight

億万長者の税目的による移住は,統計的には小さな規模でしか観察されない。このことを実証する研究。
How Place Still Matters for the Rich
SERIES: STUDIES IN SOCIAL INEQUALITY
2017

【概要】本書のリサーチ・クエスチョンは,《グローバル化時代において豊かな人とその人が住む場所にはいかなる関係があるか》である。つまり,「可動性のある富豪mobile millionaire」なのか,「埋め込まれたエリートembedded elites」なのか。本書の答えは後者である。
 まず,米国の各州の間で富豪がどの程度移住しているかを,1999年から2011年の所得税申告データ4500万件をもとに実証。その結果,低所得者のほうが高所得者よりもひんぱんに移住することや,個人所得税が高い州と低い州の間での移住が統計的には小さいこと,結婚し・子どもがいて・働いている場合に移住しにくいこと,などが示される。
 つぎに,国際的な移住について,フォーブスの2010年富豪番付1010人をもとに検討する。その結果,富豪は生まれた国に住み続けるのがほとんどで,課税目的で移住する数は統計的には小さく,移住する時期は子ども時代・キャリア前・成功後,といったことが示される。移住する代わりにオフショアに資金を隠すのではないか,という仮説についても,所得税のない湾岸諸国の富豪がオフショア口座の上顧客であることなど租税以外の目的を強調。結局,富豪の5-6%がmobile elitesで,グローバル金融資産の5%が課税目的でオフショアに置かれる,と結論。
 ではどうして富豪にとって場所が意味をもつのか?それは,所得がどこに住むかに依存するからだという。つまり,場所に基盤をもつ人的資本や,社会的資本が特定の場所に集積しており,そこに住んでいるからこそ富を稼得し維持できる。だから,シェンゲン条約以後も西欧諸国間での移住は起きなかったし,NAFTA以降も米国市民はメキシコに移住しなかった。
 こうして本書は,米国の州が所得税の最高税率を引き上げること(millionaire taxes)は,多くの人の通念に反し,富豪の深刻な州外逃避を引き起こすわけではないとする。

【コメント】この話こそが,HNWIの課税を考える上で一番知りたいこと。富豪がどこまで可動なのかによって,所得税の最高税率の設定や,税制全体の累進度の設計が,大きく違ってくるからだ。
 そして私たちは,スポーツ選手やロックスターの国外移住といった華やかなアネクドートを耳にするたびに,「ああ,豊かな人はこんなに簡単に国境を越えて移住するのだ」と思ってしまう。日本でも武富士事件やユニマット事件など,裁判例に登場する国外転出事例の印象がとても強い(日税研論集74号85頁以下を参照)。
 本書はこれに対する反証を提示している点で,きわめて注目される。米国の州間の移住に関する実証は,所得税申告データをもとにしていて,なかなか説得力がある。国際的な移住に関する話は,今後深堀りが必要だろうが,Forbesのリストからできるところまでやってくれた,という感じ。2017年12月にLSEで本書に関するシンポジウムがあり,評者が「英国でもここまでの実証研究ができていない」とコメントしてる。
 何よりも,富豪も人間だから,個人としての生活があり,ライフサイクルがある。人的資本を蓄積し稼働させることができる場所が限られていること。文化的適合性や情報交換にとって「その都市」が大事であること。だから移住する場合が限られる。この説明は直感的にしっくりくる。
 もし本書の主張が正しいとすれば,その租税政策に対する含意は普遍化でき,かなり大きいものになる。私は日本の税制に関心があるので,まずは日本のデータを対象にした良い実証研究があったら,教えてほしいものだ。東京23区とそれ以外の移動とか,富裕層の出国・入国とか,何らかのデータはありそうなのだが。
 それに,コロナ以後はどうなのか。もし国境を越える人の移動が制限され,オンラインで働くことが新常態になったとしよう。そうなったら,富豪の移住動態にはどう影響するのだろうか。租税政策にとって重要なことが,今後の究明を待っている。
Cover of The Myth of Millionaire Tax Flight by Cristobal Young

11 June 2020

Michael Dirkis, Moving to a More "Certain" Test for Tax Residence in Australia: Lessons for Canada?

オーストラリアの所得課税上個人が居住者に該当するための要件について政府レベルで改革論があることから,カナダへの教訓を示す論文。リンクはここ
Moving to a More 'Certain' Test for Tax Residence in Australia: Lessons for Canada?
Canadian Tax Journal/Revue fiscale canadienne, 2020, Vol. 68, No. 1, p. 143-168
Michael Dirkis
The University of Sydney Law School

【概要】豪では個別の事実関係をみる(facts and circumstances)基準の適用をめぐって,2009年以降,居住者に該当するかどうかをめぐる訴訟が頻発し(160頁),2016年にAustralian Board of Taxationが検討を始めた(163頁)。2018年に公開協議。確実性を求めるあまり複雑なルールになってしまっているとの評価(165頁)。そのため,加にとっての教訓は限定的で,参考程度にとどまるとしている(168頁)。なお,豪のこの動きは,英が2013年に制定法上,居住者の定義を設けたことがドライバーとなっているとのこと(154頁)。

【コメント】日本の所得税法でも「住所」を有するかどうかについては生活の本拠がどこにあるかの総合的な事実認定を要し,明確な線引きではない。このことは,不動産譲渡対価に係る源泉徴収といった局面で,取引の相手方が「居住者」なのか「非居住者」なのかを判定する負担を取引の当事者に課してしまっている。私もかつて,非居住者の推定規定(所得税法施行令15条)について「より機械的な判断で済むものへの改組を検討すべきである」と指摘した(税研208号178頁)。しかし,この論文の示す英豪の経験によると,居住者の定義について明確な線引きを用意しようとするとだいぶ複雑なルールが必要になってしまう。いたしかゆし。

03 June 2020

米国通商代表部,デジタルサービス税の調査を開始

2020年6月2日,USTRが各国のデジタルサービス税(Digital Services Taxes, DSTs)に関する調査を開始した。その公告を読んだら,こんなことが書いてある。

まず,入手可能な証拠が示唆するところによると,以下の法域のDSTが,巨大な米国ベースのIT会社を標的にするものと予測される,としている(2頁以下)。
  • オーストリア 2020年1月から施行
  • ブラジル 検討中
  • チェコ 検討中
  • EU 検討中(コロナ回復プランの一環)
  • インド 2020年4月から施行
  • インドネシア 採用済,実施措置必要
  • イタリア 2020年1月から施行
  • スペイン 検討中
  • トルコ 2020年3月1日から施行
  • 英国 検討中,議会審議の最終段階
そして,調査の当初の力点は,DSTに関する下記の懸念にあるという(5頁)。
  • 米国企業への差別
  • 遡及適用
  • 潜在的に不合理な租税政策(米国税制および国際租税システムの規範からの乖離,たとえば,域外適用,売上高課税,特定IT企業の商業的成功を懲罰する目的)
この動きは,デジタル課税の協議がG7で見送られるという報道があってから,ほんの数日後のこと。一国主義的な対抗措置を撃ち合う様相。昨年夏には,フランスのDSTに対して米国はワインへの関税で対抗するぞ,という話があった。事態は残念ながら,国際協調の方向へではなく,一国主義の方向へと動きつつあるよう。

日本でも新聞記事になってきてる。吉村教授のtweet。米国の記事